SiriとGUIはどっちがすごいのか?

Siriは便利。タイマーをセットするときに使っている。そして、それ以外には使っていない。

SFの世界に出てくることが実現しそうになると盛り上がる、あれの1つであることは間違いない。 空飛ぶ自動車、時計の電話に口を近づけ話す、チューブの中を車が走る、立体の投影動画、半透明のディスプレイ、立体的なスクリーンをジェスチャで操作、そして瞬間移動。SFでもオカルトSFというジャンルはファンタジーに近いものもある。ジェスチャーや言葉によるコントロールは、魔法使いの呪文のしぐさ、魔法の言葉にも近い。

Siriもその一つ。この流れはどうなるだろうか。 まず、タイマー以外に試したが、あまり使えるものではなかった。なので、自分の使用方法としては定着していない。

タイマーで使えるというのはむしろ発見に近いものがあった。ちゃんとSiriに通じてなおかつ有用な魔法の呪文をみつけたのだ。

これはどういうことかというと、Siriに通じる呪文は隠蔽されているのである。大げさに言えば呪文の書を知らなければ使えない。

もともと、この方向というのは何を目指しているのかを考えてみる。何に憧れているものなのか。

言えばやってくれる世界、だろうか。 これは、自分が曖昧に言っても、いいことをしてくれる世界といってもいいかもしれない。

まるで人のように。

コンピュータを人のように扱いたいのかは、人によるだろう。自分はコンピュータと話していたら何か淋しい気がするタイプだ。話すなら人と話したい。

そうでないタイプもいるだろう。では、人を目指すならば、ゴールは人ということになる。もしかしたらゴールではないかもしれないが通過点であることは間違いないだろう。ということで、人と人はどのようにやりとりしているかを考えてみよう。

人というのは言えばやってくれるが、その結果はまちまちだ。いい結果になる場合もあるし、そうでない場合もある。

曖昧な言葉で言えば伝わらないこともある。曖昧な言葉で言ってもいいことをしてくれることもある。 その過程では互いに言葉や、そのほかの様々な表現も使いながら擦り合わせているだろう。

それでも行き違いもある。

そもそもそれが人と人が関わるということなのだ。

なので擬人化エージェントに人との関わりを求めるならば、通じないことを怒ってはいけない。コンピュータでなくても行き違いはあるのだから。(いや、人相手にも怒ることはあるからいいのかもしれない。ただし、行き違い自体を無くそうとすることは、擬人化エージェントに対する「人よりもさらに通じる存在になってほしい」ということだろう。)

仮に擬人化エージェントとのやりとりの手段が音声だけであるならば、それは電話のみのやりとりに近い。単純なことならいいが、少し複雑になるとなかなか難しい。互いの近況とその感想を聞くくらいなら良いが、3番目にあるものを15番目に移動して、その中の不要なものは削除して、、なんてのはすぐにぐちゃぐちゃになる。

そして、擬人化エージェントに通じる範囲を考え、通じる言い方を探る、魔法の呪文問題を乗り越えながら見つけることが大事。アラジンの「開けゴマ!」のように。 このような世界はコマンドを知らなきゃ使えないインターフェースと近いだろう。

では、音声だけでない場合はどうだろう。

「これ」であってますか?「これ」の中から選んでください。そんなやりとりがあるだろう。

これは結局はGUIにつながる方向だ。

やはりGUIは発明だ。浸透しすぎて透明になり、音声コントロールに憧れるくらいに忘れ去られているが。

対象が示され自らが操作する、そのことがコンピュータを操作することと一体化しているので、(振る舞いが隠蔽されていることはあっても、)自分が何をどうしたかについての曖昧さはない。

やりとりを高度にしようとすればするほど、ユーザーは脳内に仮想のGUIをイメージしながら話をすることになる。結局、最初は音声だがほとんどGUIみたいなことになる。

そうしないと何をどうするのかがはっきりしないからだ。

コンピュータと、何をどうするかについてGUI以外で共有できるならば可能性があるだろうか。脳内に仮想のGUIをイメージするよりも、身の回りのものが反応するような範囲の使い方。 音声による家電操作の類いの話になるかもしれないが、身の回りの家電が結果を直接表すし、操作対象も少なくまあまあ明確だ。「四合炊いて」「追い焚きスタート」とか。それでも二階のエアコンを、、なんてやりだすと直接操作感はどんどん薄れる。本当に操作できたのか確認するために、二階のエアコンの状況を教えて、、なんてのが必ずセットになってしまうかもしれない。

GUIならどうだろう。現実世界の「対象を選択し何かをする」ということを模していること、それでいて、ある程度抽象的な概念も扱えること、現実世界よりは間接的ではあるがイディオムも含め、デフォルメし箱庭的なサイズにできること(二階に行かなくても二階のエアコンの状況がわかる)などは、GUIの良さだ。

2次元で表現できるならばという制限があるが、これは弱点でありつつも、人間の理解も2次元のほうがいい場合もある。(やや強引な2軸4象限の図のほうが正確な3軸の図よりもとっつきやすいように)

結論は、GUIはやっぱりすごいということ。GUIの次のUIは?なんて思考になるけど、GUIというのは頭1つ以上飛び抜けていて、置き換わるのではなく併用するなら何があるのか?ということなんじゃないか。それくらいGUIは発明なのだと思う。